米粉の唐揚げ・葱ソース

米粉は吸油率が低いため、時間がたっても油っぽくならないです。

小麦粉の吸油率 50%
米粉の吸油率  30%
 参考:米粉クラブ

小麦粉の唐揚げよりもカラッとしあがります。
せんべいも米粉ですね。


葱ソースをかけるため、下味は薄味になっています。

【材料・2人分】

鶏もも肉   1枚(250~300g)

漬けだれ
・しょうがしぼり汁  小さじ1
・醤油        小さじ1
・酒         小さじ1


米粉     50g
片栗粉    大さじ1
季節の野菜  適量

葱ソース
長ネギ   10g
醤油    15g
米酢    15g
砂糖    5g

【作り方】

※一緒に揚げる野菜を切っておく。
※葱をみじん切りにし、ソースをあわせておく。

1、鶏肉は、1枚を6、7個(40g)のぶつ切りにする。
2、おろし生姜を絞った漬けだれに、1を漬けもみこむ。
  5分位漬ける。













3、米粉と片栗粉を合わせておく。













4、先に野菜から3の粉をつけ、やや高温(170℃)で揚げる。
(はし全体からまんべんなく泡が出るくらい)













5、肉に粉をつけ、余分な粉を落とし、4分位揚げる。


























6、泡がおとなしくなってきたら、バットにあける。














7、最後に高温(180℃以上)に熱した油でさっと色づくまで揚げる。














8、葱ソースをかけ、出来上がり。
≪唐揚げのはじまり≫
「からあげ」は「唐揚げ」または「空揚げ」と書きます。江戸時代初期に中国から伝来した普茶料理では「唐揚げ」と書いて「からあげ」または「とうあげ」と読みました。(※1)しかし、普茶料理でいう唐揚げは現在の唐揚げとは違うもので、「唐揚げ」とは、豆腐を小さく切り、油で揚げ、さらに醤油と酒で煮たものと紹介されています。(※2)現代の唐揚げに近い、魚介類や野菜類を素揚げにしたり、小麦粉をまぶして揚げたりする料理法を、「煎出(いりだし)」「衣かけ」と呼んでいました。(※3)

≪唐揚げの外食メニュー登場≫
現代の「唐揚げ」が外食メニューに登場したのは昭和7年ごろ、現在の(株)三笠会館(東京・銀座五丁目)の前身「食堂・三笠」でのことです。 三笠会館は大正14年創業。当時は、東京・京橋木挽町に「かき氷屋・三笠」を開店しました。その後、店はカレーやサンドイッチなども扱う「食堂・三笠」となり昭和2年には歌舞伎座の前の三原橋側に移転、昭和7年には銀座一丁目に鶏料理専門の支店を開業するまでとなりました。ところが支店は営業不振となりその赤字は本店にも打撃を与えるほど大きくなっていき、当時の料理長がこの営業不振をなんとかしようと知恵を絞り、打開策として考案したメニューが「若鶏の唐揚げ」でした。 唐揚げの外食メニューの登場です。

≪唐揚げの聖地、専門店発祥の地≫
唐揚げは日本独特のもので、戦後食料難に備え養鶏場を多く作るという国の政策の下、美味しい食べ方が色々な形で発展していき、唐揚げも多く食べられるようになりました。唐揚げが食卓に多く見られるようになったのは、ここ30~40年のことです。その中でも多くの養鶏場があった大分県北部(中津市・宇佐市など)では、特に唐揚げを愛する文化が根付き、大分県中津市は市内に60店以上の唐揚げ専門店が並び、鶏の唐揚げの「聖地」として全国の唐揚げファンから支持されています。また、昭和30年代、宇佐市「来々軒」から唐揚げの作り方を受け継いだ唐揚げ専門店「庄助」は、日本で初めて唐揚げ専門店として店舗展開し、宇佐市は「唐揚げ専門店発祥の地」として中津市と同様に唐揚げファンから支持されています。


2010年10月25日
※1 『日本料理由来事典』(同朋社)
※2 『普茶料理抄』(1772年)
※3 江戸時代初期の料理書『素人包丁』(1803年)

日本唐揚協会